あなた以外は風景になる

その人以外見えなくなった時のことを書き留めたい

時は五月

普段はかわいい女の子ばかり追い掛け回していますが、5月はそれを少し休んだ。
理由というのはぼんやりとだけどあって、でもここに明記するようなものではない。
個人的に「楽しい」と思う濃度が下がったのと、燃え尽きたのと、タイミング的な。

でも休日は大変充実していた。
アイドル以外のライブを見、舞台を見、エンターテイメントを満喫した。

好きだった人のライブを久し振りに見て涙した。
初めて見る、長く活躍している人のライブを見て感動した。
新しい才能の煌きに見蕩れた。
毎日が新鮮な発見に溢れた。
そうしてまた、好きな子達のことを想った。

私の好きな子達は、この先どこへ行くんだろう。

ベテランはすごい。
場の空気を作るんじゃなくて、支配する。塗り替える。
当たり前かのように、息をするように。
そしてそこが、そのステージの規模に関わらず。
たとえ武道館でも、小さいライブハウスでも。
きっと同じ高揚感でそこに立つんだろうなって素直に想像できる。

ステージに立つことに照れないこと、それが一番大切なんじゃないか。

ステージに立つ人が照れてしまうと、見ているこちらも途端に居心地が悪くなる。
心がステージから離れてしまう。
熱狂や集中は、一度切れると再度繋ぎとめるのが難しくなる。
そうすると、心がステージ以外を見た分だけ満足度が下がる気がしてしまうのだ。

満足して帰り道、また好きな子達のことを考える。
今日のあの子達は、どんなだったろうか。
何を見て、何をし、何を考えたんだろうか。

余計なお世話ということは重々承知の上で、あの子達のこれからを繰り返し考えた。
好きなんだな。
よかった。

何かに自分の気持ちをぶつけて、跳ね返ってきたもので本意を測ろうとするなんてばかげているけど、それしか出来なかった。