あなた以外は風景になる

その人以外見えなくなった時のことを書き留めたい

忘れないためには書き留めておくことだ  2015/6/14 GOMESSフリーライブat新宿

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出先でTwitter告知を見つけた。丁度用事も終わったところだったし、新宿にも出やすかったのでそのまま向かう。
新宿南口。私が到着したときにはもう、20人くらい集まってたように思う。キーボードに使うスピーカーがまだこないとのこと。
少しだけ肉声でフリースタイルをしていたが、直ぐに警察が来てしまい撤収。
人垣は人垣を呼ぶ。この時点で50人近くいたように思う。
通りすがりで覗いた人が小声で「あ、GOMESSじゃん」という。
警察の指導により解散となったが、このあと公園かなんかに場所を移してやるというので、ぼんやりとした集団を形作り、30人くらいが三々五々移動していく。
わくわくする。どこへいくのだろう。いや、何処へは予想がついていた、都会には自由になる場所が少ない。ただ、そこにどんな景色があるのかなんて、行ってみないとわからない。わくわくするでしょう、自分でコントロール出来ないことは。

某所にたどり着き、また再セッティング。
とはいえ、それは簡素なもの。小さいスピーカーに繋がれた、キーボードとDJができるポータブルセット。
キーボードは自転車の上に、ポータブルDJの機械は地面に。
今日はGOMESSは肉声そしてピアニストとDJがひとりずつ、交互に音楽を奏でていく。
持ち歌をやることもあるし、新曲披露もあるし、いつものフリースタイルもあるし、内容も様々。
その場でこうしよう、ああしようと提案してセッションをしていくのが見られるのは、彼がいつもどうやって音楽と接しているのかが垣間見られて楽しい。
もちろん即興だから未完成ではあると思うけど、それがダメな理由になんて何一つならない。聞いてほしい、そうすればよくわかるから。この空気で、ここで奏でられている音楽に強い説得力がある。
小さいスピーカーをかき抱いてラップをするGOMESSくんと同じ視線になりたくて、私は地面に座った。地面が近くなると、空が遠くなる。風が通る。距離は一歩も詰めていないのに、すごく近くに寄った心地がする。
同じように座り込む人も多かったし、立ってみている人もいたし、離れたり近づいたり写真を撮ったり動画を撮ったり。
リズムに乗っても黙ってみていてもなんでもいい。あの都会の真ん中のスペースで、私たちは贅沢な時間を過ごした。音楽と満たされた気持ちが沸いていく。
普段彼が突発的に繰り出しているツイキャスを目の前で見ている感覚。でもいつもと違うのは、ここに30人くらいのひとがいて、感情を彼にさらして寄り添うように一緒にいること。そしてそのことを彼がとても歓迎していること。
今日の終わりに、みんなでハンドクラップで曲を締めくくった。みんな楽器を持っていると彼はいう。その手で音をうちならせるなら楽器だと。それをいうならと私は思う。あなたは声という楽器を持っていると。
私の狭い音楽の趣味の範囲で、初めて声は楽器だと教えてくれたのはチバユウスケだった。それから何人かそう思えるひとがいるけれど、その中のひとりは間違いなくGOMESS君だ。

初めてのワンマンライヴの時、彼は予定時間を大幅に越えて三時間半もステージに立ち続けた。彼はパフォーマンスとMCの区切りがほとんどない。ラップとはこんなに会話に近いのかと思った。会話とラップを自由に行き来する。それは、歌ではできない。
彼が繰り出すフリースタイルは、聞いているこちらが苦しくなるくらい言葉が詰まっている。途切れることなく次から次へ言葉が紡げることが彼の才能だと私は思っていた。けれど違う。彼の一番の才能は、自分を剥き出しさらけ出せることだ。ステージで嘘をつきたくなくて、ありのままの自分でいたいと願う。その、自分をありのままに見せることができることが、それこそが彼の才能だと。

ライブが終わって「今日初めてライブを見てくれた人?」とGOMESS君が問いかけた。
結構な数の手が挙がった。
彼は嬉しそうに笑った。いい光景だった。


今日のことを忘れないためには共有することだ。
写真を撮ることだ。
書き記すことだ。
そういっていたから、私も忘れないように書き留めた。これで大丈夫。