あなた以外は風景になる

その人以外見えなくなった時のことを書き留めたい

2016/1/30 SWINGERZ旗揚げ公演 at.下北沢ガレージ

 SANABAGUN.、THE THROTTLEの高岩遼が率いる謎の集団「SWINGERZ」の旗揚げ公演に行った記録。いろいろありひとつき以上寝かせてしまい、いい加減間が抜けたのでどうしようかと迷うけれど記録として残しておく。このひとつきで追記したいことも増え書き直しも考えたけれど、新鮮な気持ちをとりあえず。長いけど。

 

「ステージの上では嘘はつけない」

私はステージの上に立つ人間ではないが、ステージを見るたびにこの言葉を思い出す。
ライブも芝居もそれは一緒で、努力の成果がそのまま出てしまう場所がステージだ。
ステージで特別な輝きや瞬発力を発揮するといっても、それは普段のたゆまぬ努力に裏打ちされたものしか出すことはできない。そう考えてきた。

だからこそ。

行けばわかると思った。そう、「SWINGERZ」という集団が何なのか。何を目指しているのかということが。


 上演前の劇場はいつもと景色も空気も変わっていた。
ステージの前方には椅子が30個ほど並べられている。その後ろに椅子に座れなかった人たちが立ち並ぶ。結構な人数が、いつものライブハウスとは違う佇まいに期待と不安を滲ませている。何が起こるのか誰も何も知らない。演劇をやるようだが果たしてそれがどういうものなのか。ちょっと異質な緊張感を破るかのように照明が落とされると、客席のドアを開いてSWINGERZの面々が登場。ステージへ歩み寄り一列に並んで顔見世をした。

 SWINGERZ代表の高岩遼が口を開く。
「一歩外出て街を見渡せば、くだらねえアホ面こいたバカばっかで、だからジジババにこの世代がなめられるんだろ。こいつはほおっちゃおけねえ。日本男児汚すわけにはいかねえ。まずは自身から気合を入れていく。そういう思想の下俺たちはこの青い旭日旗を掲げて集まった」
正直、わかるような、わからないような。つかみどころがない。
質問はあるか?という声がかかったので、見る前に無粋かなと思いつつ思い切ってそのものずばりをぶつけてみた。
「どうして演劇という表現形態を選んだのか?」
SWINGERZを俳優事務所にしたい月9に出るような俳優を出したい、と本気なのかどうなのかはぐらかす返答をしたあとに、高岩遼はまっすぐにこう答えた。「表現活動のひとつで、別にこれだけにこだわっていくつもりはないんです」

さあ、ついに幕が上がる。果たして何が見えるのだろうか。


 演目は「桃太郎」と「シンデレラ」と事前に出ていたが、まずは「桃太郎」からスタートした。

《桃太郎》
桃太郎 高岩遼
犬 山田健人
猿 田上良地
キジ 高橋紘
鬼1 工藤わたる
鬼2 谷本弾
鬼3 橋詰大智
(あらすじ)
桃太郎が鬼を制圧し世の中には平和が訪れた・・・わけではなかった。ひとつの争いがおさまれば、また別の諍いの種が芽吹く。桃太郎に毒入りのきび団子を食べさせたのは誰なのか。桃太郎の後釜を狙う犬・猿・きじか、それとも虐げられている恨みを抱えた鬼の犯行か。本当に悪い奴はどこにいるのか。


《シンデレラ》
湘南王子 熊田州吾
ひげ王子 谷本大河
じょんがら節王子 向後
チャーリー王子 高岩遼
ジェームス王子 隅垣元佐
シンデレラ 成田アリサ
(あらすじ)
王子たちが集まりなにやら揉めている。「誰がみんなの憧れの姫に求婚できる権利を持つか」その栄誉を賭けて王子たちが、それぞれいかに自分が姫に相応しいのか自己アピール合戦がはじまった。果たして勝利の女神は、いや姫は誰に微笑むのだろうか。そして姫は一体誰なのだろうか。


 見終えて一番の感想としては「あ、本当に演劇経験者皆無なんだ」という驚きだった。私は小劇場によく通っていた時期があり、少し劇団の制作のお手伝いなどもしていたことがある。とはいえ舞台製作に特に詳しくはない素人の目からしてもそれは明らかだった。
 例えば普通芝居は転換中に曲を流して観客の気を逸らしたり、バミリテープの端に蓄光テープなどを少し使って暗闇でもスムーズな転換が出来るようにしたりする。それが一切されていないところから見ても、本当に手探りで「演劇」に取り組んでいたんだなあということが伺える。とはいえそこを攻めたい気持ちは皆無だ。経験ゼロのところから公演を打ってみよう!というその心意気は素直に面白いと感じたし、むしろその勢いのみで走ってみることが今回の目的だったのかなと感じた。
 彼らの多くは駆け出しのミュージシャンとして、ステージで生きていこうとしている最中の人が多い。そんな人たちが敢えて本業の楽器を置き、ステージに立ってみる。普段はしない芝居をメインに据えて取り組んでみる。楽器を携え人前に出るのはみな手馴れているだろう。しかし仕事にしようと思うほど愛着と自信がある強みを、敢えて手離してステージに立つのは普段とは違う恐怖やとまどいがあったと思う。しかしそれを微塵も見せずに全員が堂々と芝居を楽しんでいた。その演技力に差はあれども正面から未経験の演技に取り組み、変に照れたりしている者は居ない。全員が自分の演技プランを考えたであろうその痕跡はしっかりと観客に伝わってきた。
 自分の与えられたこの役は、ここが魅力でしょう?そうステージからきちんと主張が聞えてきた。これは簡単なようでなかなか難しいことだと思う。これが出来ないと照れが出てしまう。演者が照れると客も照れる。ライブにしろ演劇にしろ些細なことからステージはほころびを持ってしまうことが往々にしてある。それを全く感じさせなかったのは、流石に普段から人前に立つ人たちだなあと感じた。というより、芝居を生業にしていない素人(と失礼ながら敢えて呼ばせていただく)と考えればこれが出来れば概ね成功であろう。客をしらけさせずその世界へぐっと引っ張り込んでいたのだから。
脚本の内容も、昔話を下地にしてアレンジを加えるというよくある手法ではあるが、そこに自分たちなりのアレンジをきちんと加えていた。『桃太郎』では圧倒的なリーダーとそれを取り囲む者たちの信頼関係をストーリ側から巧みにアプローチし、『シンデレラ』ではストーリよりも「演者がそこで自分をどうアピールするか」という自己演出というテーマについて取り組んでいた。二つを同じようにまとめることもできただろうがそれをせず、実験的に取り組む姿勢に前向きな意欲を感じた。

 ただもちろん課題がないわけではない。今後もし芝居を続けるとしたら、やはり最低限の演劇のセオリーは必要になる。先にちらりと述べたように、例えば転換で観客のきもちを離さないように最低限の時間で済むようにする工夫や、音楽をかけたりなどの工夫は必要だろう。ライブでもそうだがひとの気持ちは意外と些細なことでステージから離れていく。
 また演出についても同じで、自分たちが見せたいものを出すことは絶対に大切であるが、そればかりを押し通していくとおいてきぼりになる観客も出る。「浪漫維新」を掲げムーブメントを起こそうとしている彼らは内輪受けを狙っているのではないだろうから、自分たちが提示したいものをどう魅せていくか。輪の外に居る人をどうやって引っ張り込むのか。そこまで含めた「演出」の手腕が今後問われるのだろうなとも思えた。そしてそれは、SANABAGUN.やTHE THROTTLEが抱えている課題と同じなのかもしれない。
 だた、それを鑑みても尚見たものに期待を持たせてしまうのは、この集団を形成しているメンバーそれぞれが可能性と魅力を携えているからだ。それは努力では身につかない天性のものであり財産だ。ここからどう化けていくのか、進化の方向性も見えない分だけ期待も高まると素直に思う。

 

「SWINGERZとはなんなんだろうか?」
結局、見に行って余計にはぐらかされたようなところが大きい。これに手応えを感じてまた公演を重ねるのか、それともまた違う表現形態を探していくのか。月イチでメンバー個別に焦点を当てて作られる5分間の映像作品"FIVE MINUTES MORE" 、先日行われた『浪漫維新』の生配信でのトーク番組、また今後はフリーペーパーの発行なども予定していると聞いた。これらも全てSWINGERZ名義であることから鑑みても、演劇というステージに特にこだわりを持っているわけではないのだろう。
 ではこの取り組みはなんだったのだろうか?
私は『表現者がより沢山の武器を携えるための活動』であると感じた。
彼らはみなそれぞれの表現者としての強みを持っている。それこそそれで飯を食おうとするくらいなのだから自信と自分への期待もあるだろう。しかしそれに頼らずまた違う側面から、表現するという欲求や活動自体を見直し、自身の幅を広げていこうとしているのではないか。男の~云々前口上はあるにしろ、ひとつの姿勢を持って尚自分達を開拓していくその動きが、ひいては周りを巻き込んでいくことを目指しているのではないか。冒頭に高岩遼が『表現活動のひとつ』と述べたことはいつものはぐらかしではなくそのままの素直なきもちだ。どこに芽吹くかわからない、自分達の可能性を信じる自己鍛練の過程が、ライブハウスを飛び出して広がる様に刮目すべきだ。