ほくろ臨書のススメ
先日このようなブログを僭越ながら書かせていただきました。
お恥ずかしい話ですがこのブログが超好きで、何度も読み返しては(うううああああーーーわっこのブログを書いた人とは絶対気が合うから仲良くなりてえーーーー!!!!)って思ってます。自分のことをこんなに肯定するのは初めてかもしれません。
ぽつぽつと同じような趣味の方からの反応もあり、嬉しかったです。
そこで、今日はこのブログから派生した『ほくろ臨書のススメ』を書きたいなと思います。
ほくろ臨書とは、いえ、まずは【臨書】とは何かということから説明させていただきます。
【臨書】とは?
http://kotenshohou.com/bun/rinsho.html
"臨書とは、手本とそっくりに書くことである。手本を手元に置き、可能な限り似せて書くようにする。筆で書く文字は、点と線の組み合わせであるとともに、点と線に形を持つ。臨書は、点線の形を含めて隅々まで似せることに意味がある。"
お手本に沿って全く同じように書くことを目指すのが【臨書】です。
個性とか要りません。とにかくお手本に忠実に。
では【ほくろ臨書】とはなんでしょうか?
そう、お手本に忠実にほくろを再現することです!!!!!!!!!
テストに出るぞ!!!!!
己の顔面に、推しのほくろを忠実に再現すること。それはただほくろを書くだけではありません。ほくろを己に刻むことで推しそのものを魂で測り写しとる。そう、ほくろを再現することは推しの内面や個性、ひいては生き方までもを再現すること、それがほくろ臨書なのです。
こちらにはもっと深いことが書かれておりました。
"古典の臨書において、もっとも大事なことは、筆使いを真似ることである。
そうしないと、点の一つ、線の一つであれば、偶然にということはあるにしても、適度な速度で、真似をし続けることはできない。"
臨書とはただ書けばいいのではありません。それと同じくほくろ臨書もただ書けばいいのではないのです。ほくろを推しに書いたのは誰でしょうか?そう、神様です。神様でなければ誰でもいい、超自然的な神秘的な存在です。日本は八百万の国。あなたが信じられる超自然的な力を持つ存在ならなんでもいいけどここでは神様と総称します。神が推しに与えたギフト、それがほくろという名の星なのです。神様の筆を真似てほくろを刻み込みましょう。
こちらの文章は更にわたくしたちに深い示唆を与えてくれています。
"息を止めて、まるで精密な塗り絵をしているような気持ちになる場合は、注意をしている。頭が勝っている状態で、自然な手の動きを伴っていない、書をすることによって、心の平静を得られるどころか、肉体を不自然に使うことから、ストレスを受けることになる。なによりも、書いたものは固く生きた気を伴わない。"
わかりますか?
わからなければわかるまで繰り返し読んでみてください。わからない、わからないと思いながら手を動かしてみてください。ほくろを臨書してみるのです。
今日がダメなら明日、明日がダメならば明後日と繰り返してみましょう。そうやってひたすら試みるうちに訪れる『無』。最初は写しとることに必死になるかもしれません。その結果無の境地に達したとき、人は心の平静を保ち悟りを開くのです。そう、ほくろ臨書とは自己との対話を繰り返し、敬愛する相手にぶつけ、その先にはひとしずくの平静が待っている。たったひとときでも我を捨て敬愛する相手を自分に写しとる。美しい孤高の行為なのではないでしょうか。
1度でいいからやってみて欲しいのです。そこにはまだあなたが開けていない世界が広がっています。なんだそんなこと、と思われるかもしれません。やってみて拍子抜けするかもしれません。それはまだあなたの心が注意を払っている証拠。臨書は繰り返し精進していくうちに、推しの思考や息づかいまでも写しとります。ほくろを臨書して我を捨て、推しを己に刻みましょう。呼吸するように自然に写し取れたとき、書いている状態がいつも以上に自然に感じられたとき、それはあなたの魂のステージがまたひとつ上がるときなのです。
大丈夫でしょうか?引いていませんでしょうか?私は至って正気です。さあさあレッツほくろ臨書!とにかく一度書いてみましょう。話はまずはそこからです。
このブログ何いってるんだかわかんねえ、というかよく読んでみたら長いけど実は何も言ってなくない?と気づいたあなた、正解です!!じゃあこのリキッドアイライナーでほくろ書いてみようか?ねっ、痛くないから。ねっ!!!!