あなた以外は風景になる

その人以外見えなくなった時のことを書き留めたい

推しに語れる言葉が欲しい

アイドルおたくになって10年、初めて推しが卒業しました。

卒業ライブからやっとひと月が経ち、でも私の生活は何処か欠けたまま。

 

このひと月。アイドルもバンドも何でも音楽を聴くのから何となく離れてしまい、家でも流さずに過ごしたり。大好きなライブは平日週末問わずに足を運んでいたのをなんとなく止めてしまいました。それでもカウントしたら数度行ってはいるから充分だけれど、やっぱり気が向かなくて直前でやめた数の方が多いです。

 

音楽から離れて何をしていたかというと、なにもしていません。だらだらと横になり、Twitterを眺め、いつの間にか朝が来て。それで時間が流れていくのは勿体ない以外の言葉が見つからない。

音楽以外の趣味を見つけようと、落語に美術展に読書に食べ歩きと何かしらしてはいるけれど、それは今のところあがいているという意味が強い。楽しんで生活のメリハリやうるおいになるような状態からは遠い生活。

 

不幸ではないけれど、これでいいわけがない。

 

いつかまた推しに逢える日が来るとして。私の推しはとりあえず芸能から完全に足を洗うわけではないようなので、きっとまたいつか逢えるでしょう。その時きっと彼女は『ねえ、今まで何してたの?』『最近どうしてるの?』って訊ねると思います。私よりずいぶん若くて可能性のある彼女は、どんどん変わっていくことでしょう。何より社会人として【仕事を変える】というのは、環境も人間関係も一番大きく変わります。そのなかで今までにない体験をして、未来を恐れずに前向きに生きる推し。

 

一方私は何か起こるのだろうか?

 

なんにも変わらない気がしてならないのです。変わるだろうという予感すら、ない。

 

 

これではあまりにも恥ずかしい。

 

 

いつかまた大好きな推しに逢える日が来たら、その時にお互いの知らない時間の事を報告できる日が来るとしたら、その時は推しに語れる言葉をひとつでもいいから増やしておきたい。

推しのツイート通知が来ないスマホを眺めながら、これがこれからは当たり前の光景、日常になるのかと耐え難い気持ちになります。でもこれが現実。だったら、やっぱり自分であがくしかないんだ。

 

推しの事を考えるだけで少し背筋が伸びる。恥ずかしくない人間でありたいと思う。そう思わせてくれる子を推せてやっぱり幸せです。

 

でもね、やっぱり、さみしいよ芽依ちゃん。