あなた以外は風景になる

その人以外見えなくなった時のことを書き留めたい

わたしの星 2019年に寄せて①

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2014年以降、私にとって夏とは二分される季節となった。

「わたしの星」のある夏と、ない夏だ。

2014年、2017年、そして2019年。

今年もまた、「わたしの星」がある夏がやってきた。

 

https://www.ytv.co.jp/watashinohoshi2019/ 

 

 「わたしの星」とは何かと簡単に説明すると、劇団ままごとの柴幸男が書いた現役高校生の為の戯曲上映プロジェクトである。キャスト全員と制作をサポートするスタッフを担う現役高校生をオーディションで集め、夏休みに10日間ほど上演される。2014年が初の試みとなり、2017年にも上演された。(一度台湾でもこのプロジェクトは行われている)

 国内での過去二回は東京の三鷹で上演、そして今年、初めて大阪で行われることとなった。

 

 2014年、たまたま本編の前の「公開稽古」の見学に行った私は、短い時間ですっかりその魅力にやられてしまい、予定では一回のところを数回、千秋楽の8/31には(当時は夏休み最終日8/31の設定のお芝居を8/31に千秋楽として上演していたんです。これを見ずして他に何を見ろというんですか!) 当日券を求めて朝から並ぶというハマり振りだった。

 2017年も勿論公開稽古から見学し、2014年との違いにも期待が膨らんだ。記憶では7回?ほど劇場へ足を運び、夏を燃やしてもらった。

 そして2019年、休み取得や予定やら諸処の兼ね合いで大阪へ行くのは諦めようと思っていた。上演が終わるまで情報を遮断しやり過ごそうとしていたところ、急に前日になって全ての段取りを整えて弾丸で大阪遠征を決めた。普段、ライブだって遠征は渋るのに、何も知らない(情報を遮断しているので)高校生の演劇を見るために大阪へ行ってしまった。あの時の決断力と行動力は自分のものではないと我ながら思う。

 

 

 「わたしの星」脚本は毎回設定がゆるやかに変わるけれど、描かれているテーマと大筋は変わらない。

 とある未来の地球の日本。温暖化で地球から火星への移住が進んでいるため、全校生徒が10人ほどの高校が舞台だ。夏休みの高校生が文化祭の準備を進めていく中で、いろいろな人間関係が見えてくるというストーリーだ。

 

【人と人との間の引力】がテーマで、ステージではいろいろな形で引き合う人間関係が描かれる。エンタメなので映し出されるエピソードに濃淡はあれど上下はない。どの関係にも理由があり、迷いがあり苛立ちがあり憧れがある。特別な悩みなんてない。いつの時代も、似た様な惑いを感じたと思い出せることばかりだ。

 でもそのどれもが「誰もが通るよね」なんて言葉で片付けたくないと思ってしまう。似ていても、それは現在進行形で誰かの「リアル」だからだ。

 作中で描かれるいくつもの引力は、いずれもスッキリと解決はしない。どこかにまだ余白を残したまま物語は終わる。そこがリアルな人生という気がして私は好きだ。現実はいつだって全てに白黒がつくものではないのだと、頭ではなく実感を伴って肌で知り始めるのが高校生なのかもしれないと思う。

 

 2014年、2017年と大きく2019年版が変わっていたのは、舞台上に異質な視点を持つ存在(メイ)が登場していたことだ。基本的には二人一組の関係性に関するエピソードが折り重なり、抱えている葛藤を解決することで物語は進んでいく。その輪の外から来る存在として、ヒカリという存在は異質だが、メイはそのヒカリとも大きく異なっていた。メイは2019年の女子高生。舞台となる未来の女子高生と同じ制服を身につけてはいるものの、その存在は誰にも(正確には感じることが出来るキャラもいるが)見えない。いわゆる「狂言回し」のような立場ではあるが、誰かに影響したり物語を大きく進行させるようなことはほとんどない。主にステージ脇の楽器が置かれた場所から、高校生たちの成り行きをずっと見守っている。時に鍵盤ハーモニカで伴奏し、ステージで展開される物語に感情を寄せているこの子はなんなのだろうかとずっと引っかかる存在だった。最後の最後に、霊感のあるモモだけが彼女に激しく反応する。「わたしたちを見て簡単に『かわいい』なんて言わないで」正確な台詞回しは忘れたが、モモは強く苛立つ。「わたしたちは今、これで一生懸命なのだ」と。モモの放つ台詞は、メイに投げられたように見せかけて、そのまま場外への私たちにぶつけられる。私こそが、この舞台に奮闘する高校生たちを「かわいい」という言葉で消費していなかっただろうか? 高みの見物をしていたのではないか? 「かわいい」「青春だ」という言葉で簡単に名前をつけることが出来るけれど、その裏で演じている高校生たちにはこれがリアルなのだ。名前をつけてカテゴライズして処理したつもりになるな、そう言われた気持ちになった。ここへ踏み込んだ理由を、いつか柴さんへお聞きしたいなと思う。

 

 変化といえば、おやと思ったのが火星からの転校生ヒカリだ。ヒカリは体が弱く、余命幾ばくもない。そんな娘を思い、故郷のようなものだからという親の提案で地球へ越してきた。言ってしまえば、ヒカリは地球へ死にに来たのだ。しかし、前作まではそんな強い表現はなかったと記憶している。もう治らないから死ににきたのかな…となんとなく読み取る程度の、いうぼんやりしたものだった。しかしヒカリの独白で、この先ヒカリがどのような状況になるのかが具体的に語られる。このあたりの表現は、確か意図的に避けているという話があったように思うので、どのような変化が起こったのかと気になった。

 

 折り重なる様々なペアの中でも、その中心にいるのが主演のスピカと親友のサラだ。この脚本は基本的に本人の名前をもじられているが、スピカとヒカリだけは毎回変わらない。突然のスピカの転校騒動に巻き込まれる中で、個々のペアの葛藤が噴出していく。

 スピカは学校でもいつもみんなの中心にいるような人気者だ。先輩にも後輩にも好かれ、チャーミングを振りまいて生きているように見える。スクールカースト上位にいるスピカと、対照的に物静かなサラ。物語に散りばめられた沢山の歯車をまとめ、大きく動かしていくのがスピカの役どころだ。なので、スピカはいつも相手役の子を優しく包むような、包容力のある安定したいい子のキャラだったように思う。今回のスピカも基本的にはそれに沿っていたが、今までのスピカよりもダイレクトに感情をサラへぶつけていた。持て余すジレンマをぶつけてくるサラに、自分も正面からサラへぶつけていた。その意地悪な部分も素直に演じられていて、それがとても腑に落ちた。ああ、私の中での理想のスピカがいたなと感じた(他のスピカと比べてというわけではなく、あくまで私の理想で)。今回はこの子の引力で、私は大阪まで飛んできてしまったのだと思った。

 

 メイという異質な存在をいれた2019年版は、そのために各ペアの抱えるエピソードにより濃淡が生まれたなと感じた。最初はそこがさみしいなという気持ちが拭えなかったが、2度見てそれでよいのだと思えた。全ての関係をフラットに描き出すのが本質ではない。観客それぞれが肩入れしたくなる子がきっとそこにいるし、いない人はメイと肩を並べて群像劇を見守ればいい。むしろ濃淡をつけることで、一度しか見ない観客の焦点はより合いやすくなるのだろう。

 

 幸い2回見るチャンスに恵まれたので、個々のキャラに関する感想も別に書き留めておきたいが、自分の中で大きく感じたことを述べただけで結構な長文になってしまった。また別途、ブログにしたいなとは思います。

 

 とにかく今年も見応えのある、大変によいものを見させていただきました。大阪まで行って良かったです。ありがとう。

 

 そして今年も、わたしはこの言葉を噛み締め夏を終わりにしました。

 

 

星に引力があるように人にもきっと引力がある。

たとえどれだけ離れても、あなたはずっとわたしの星。

 


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追記:

これは舞台とは直接関係がないが感じたことなので正直に付け加えておくと、今回は公演中どの回もソールドということは無かった。その一因として、チケット代の値段があるのではないか。私は大阪の舞台事情は全くわからないが、「現役高校生によるひと夏の舞台」と聞いて興味をそそられても、3800円はなかなかに高額ではないだろうか…。私だけですかね…。そこそこ小劇場系の舞台に通っていたこともあるので、舞台がどうしても相場的にそのくらいはかかるということは承知している。この世界観にハマって東京からはるばる足を運ぶ私が言っても説得力に欠ける気がするが、衝動で飛び込むにはハードルが高い値段設定だった。例え地元でやったとしても、普段舞台を見ない人に、私のレコメンドを信頼して3800円出して!とはなかなか言いにくいなと思ったのは正直なところでした。三鷹はちなみに一般前売りで2500円でした(当時)。公共のホールなどの環境に助けられている部分は大いにあると思うのですが、本当にありがたいことだなと心から思ったのでした…。三鷹ふるさと納税したいという感情でいっぱいです…。