来年、生まれて初めて推しが卒業します
推しのリリカルスクールmeiを含むオリジナルメンバー、ayaka、amiが来年2月、グループを卒業することが決定した。
この一週間、本当に長かった。
この発表から、何を読み取るかは人それぞれ。公式に発表されたのがこれであり、これ以上も以下もない。
発表直後の自分のツイート
出会ってから今まで毎年渡してるクリスマスカード。今年の出だしは『今年も芽依ちゃんにクリスマスカードを書けて幸せです』でした。
— ユリ (@yurivsky) 2016年12月21日
現時点でこの度リリスクの発表について思ったことです。まとまりませんし変わるかもしれませんが、私の素直なきもちです。 pic.twitter.com/79IG9B1Qkj
直後はわりと冷静というか、ショックでぼんやりしていたけれど、その後は冷静になり余計なことまで気を回しはじめる。
メジャーになってアルバムも出したばかりでなんでこのタイミングとか、これじゃまるでとか、私もここに書きたくないくらいいろんなことを思ったしまだ思ってる。きっとずっと抱えたまま生涯を終える。答えがないから。
もし答えが提示されても、私には飲み込めないものかもしれない。
でも一生抱えてわからないくらいのことをひとつふたつ、いや、みっつよっつずっと抱えて生きていてもいいかなって思うくらいは好きだ、リリスクが。
こういう決断へ至った経緯はきっと説明されないだろうし、それは仕方ないかなと。
それこそ説明する義務があるだろという人がいるのもわかる。そういう葛藤や生きざま含めて『アイドル』という仕事だろうと。
でも女の子の人生は見世物じゃない。出したくないことは出さない選択肢が用意されてていい。
自分がどういう気持ちでいるのか、自分自身こんなにわからなかったことはない。
まだ正確な日はわからないけれど2月になるという「その日」までカウントダウンはもう始まってる。
もう、戻れない。
どちらにしたって、一旦現体制の「リリカルスクール」が終わること、同時に私の推しの芽依ちゃんがアイドルとしての活動を恐らく辞めるであろうことは変わりません。
このまま芸能活動を終えるという可能性も勿論ある。
そうしたら、街で偶然会う幸運を持つ人以外は会えなくなる。
会えなくてもTwitterくらい残ってれば現状を伺い知れるけれど、恐らくそれはないんだろう。残ってくれていたら嬉しい。そうであってほしい。
会えなくなったら好きな気持ちは薄れるのだろうか。それとも、ますます募るのだろうか。
いつになってもまとまらない。きもちが。
2007年Perfumeから始まり、来年でアイドルおたくになって10年。初めて推しが卒業する。こういう日がいつか来ることはわかっていた。けど、いつだって想像を越えるんだ現実は。
覚悟してるなんて口では言ってた。けど、そんな覚悟がこんなにも役に立たないなんて誰も教えてくれなかった。
こんな役に立たない覚悟をする時間があったなら、推しの言葉を夢を姿勢をすべて肯定して、一緒に全力で夢を追いかけるおたくになれればよかった。たとえそれが夢半ばで潰えたとしても、その時全力で悔しがれた。変に保険をかけたから中途半端な気持ちだ。こんなこといってもほんとうにどうにもならない。傷つかないように保険を掛けていた自分に知らず裏切られていたのだ。みじめだ。おとなになるってなんなのかね。自分を守る術にだけは長けるはずだったのに、それすらできでないじゃないか。間抜けだ。小賢しく振る舞った自分に一番裏切られている。相応しい間抜けな有り様だ。
今日はZeppでのワンマンライブ。現体制で一番大きなステージだという。開催がわかってからすごく楽しみにしてチケット取ってスケジュールに書き込んで、この番号なら前に行ってみられるかな、芽依ちゃんと指差しできるかなとかいろんなこと友達と話してた。そんなに楽しみにしてたのに、今日が来るのが正直嫌だった。今日になっても始まらないで欲しいなと思う。まるでラストステージみたいなきもちでいるし、ライブのことを考えると楽しみよりも先にさみしさが募り、喉に小石がつまったようだ。
今年のリリスクのクリスマスライブも楽しかったなあ。ずっと笑ってた。ああいう気持ちで今日も笑って見届けたい。リリスクはこの四年半私の日常にずっと寄り添ってくれた。会いに行けば幸せをくれた。いつだってハッピーにしてくれた。それが現体制最後の時まで続いて欲しい。
そしてその先も。でも正直なところ、その先はまだうまく像を結べない。
ああ泣きたくない。大好きな子達に自分達のことで泣いている顔なんて見せたくない。沢山幸せをくれたのに。
涙を止める薬はどこにいけばありますか。
もしも時間を止められるなら今がいい。泣きたくてもうまく泣けない苦しい気持ちのままでいいから今がいい。